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2012年8月15日 (水)

原発再稼動の是非 倫理委員会を設立せよ

 国会の事故調査委員会は、事故原因を「人災」と位置づけ、今までの原子力行政を(人間の行動を含めた技術的側面)から厳しく糾弾しました。

 報告書は数多くの問題点を指摘していますが、それらを解決すれば原発は容認できるのでしょうか。原発推進派(原子力村)は安全基準のしきい値を甘く設定することもできます。「安全基準に適合したから再稼動可能」だと、原発推進派は「鬼の首」を取ったように言うでしょう。

 事故から1年以上たっても、原発事故は収束せず、除染の見通しも立っていません。全国各地では、毎週金曜日に「反原発」のデモが行なわれています。国民の原発に関する「恐怖」がこのような行動の動機となっているのでしょう。この「恐怖」を、新たに設置する「原子力規制委員会」は「技術論」でもって消し去ろうと考えているのでしょうか。

 いくら安全だと言ったとしても、国民から「恐怖」を取り除くことはできません。ドイツの「倫理委員会」の報告書は、この「技術論」至上主義に一石を投じるものでした。この議論を経て、ドイツ政府は、脱原発に踏み切ったのです。そして、同委員会は、平成23年5月30日、「ドイツのエネルギー転換-未来のための共同事業」という報告書を発表しました。

 この報告書の内容は、「浜岡原発訴訟第五回口頭弁論」後の、「記者会見兼報告会」で配布された「準備書面4」に記載されています。それは「エネルギー政策は無制限な自由裁量に委ねられるべきではなく、倫理的な指針が必要である」と、述べています。

 以下、紹介します。詳しくは「HP 浜岡原子力発電所運転終了・廃止等請求訴訟弁護団」を読んでください。

1 倫理的立場

 エネルギー政策の決定は、すべて、社会による価値決定に基づくものであって、技術的あるいは経済的観点よりも先行する。そして「環境を保存・保護し、破壊することなく、有用性を高め、未来における生活条件の保障と見通し」を目指すという生態的な配慮が必要である。

2 リスク

 福島原発事故は「大事故が生ずるリスクが、仮説的に存在していたのではなく、大事故が実際に起こりえるのだ」ということを多くの人に自覚させた。ドイツでは、そのようなことは起こりえないという確信は消滅した。そのことは、原発事故そのものについても言えるし、事故収拾が長期にわたって手の施しようがないことについても言える。

 「科学的に、原発と他のエネルギー源の欠点は比較衡量(対象を比較し、その軽重を判断し、一定の評価、決断をすること)できる」という見解は、説得力を失った。

 想定外と言われたように、「技術的なリスク評価の限界」が明るみに出てくる。

 短期的な利益を優先して未来の何世代にも負担をしいるような決定に対しては、社会が責任を負わねばならず、何が受け入れ可能で、何が受け入れ不可能と判断されるべきかを決定していかなければならない。

 リスクの問題を単に技術的な側面へと狭めてしまうことは正しくない。

 原発の平和利用は、これまでのところ、進歩と豊かな生活を約束し、リスク制御可能な無限のエネルギーを約束するものであった。それは、大それた未来のユートピアであり、当時の技術水準に従って倫理的な議論によって根拠付けられていたユートピアであった。今日では、ドイツにとっては、それはもはや妥当でない。

3 絶対的な拒否の立場から

 原発事故の規模を発生率によって判定するという技術的なリスクの定義は、原発に関する評価に対しては十分でない。それは、システム上、リスクを相対化するという受け入れがたい結果を導く。それは事故の可能性を容認しているものであり、それを「残余のリスク」として片付けることは倫理的に受け入れることはできない(ものぐさ 残余のリスク)。

 事故の可能性、世代への負担や放射線による遺伝子損傷の可能性は、そのリスクを比較衡量してはならないほど大きなものだと評価される。

 原発事故は、最悪のケースの場合どんな結果になるかは未知であり、その結果は、空間的にも時間的にも社会的にも限界付けることはできない。よって、原発をもはや使用すべきではないということになる。

4 リスクの相対的な比較衡量の立場から

 巨大技術施設の場合、リスクがゼロと言うことはあり得ないし、そのリスクは比較可能だ。受容可能かどうかの判断は、あらゆる利用可能な選択肢から、期待される効果を科学的な事実や倫理的な衡量基準に基づいてなされなければならない。そのリスクとチャンスが科学的に可能な限り見積もられ、それには生態圏全体にわたる直接的また間接的な影響が算入されなければならない。

 以上の観点からドイツでは、原発はもっとリスクの少ないエネルギーに代替することができるし、筋も通っているはずだと考えた。というのも、ほぼ全ての学術的な研究が、「原発と比べて、再生可能エネルギーと省エネのほうが、健康リスクや環境リスクを低くする」という結論に至っているからである。

5 結論

 ドイツでは「絶対的な拒否」と「リスクの相対的な比較衡量」という立場から議論され、どちらの立場からも同じ結論に達した。

 すなわち、原発からの電力が、生態的、経済的、社会的な配慮の基準に即してリスクのいっそう少ないエネルギーによって代替され得る限り、速やかに原発の利用を終わらせるということである。

 (ものぐさ) どんなに技術を高め、安全基準を定めたところ、一旦事故が起きてしまえば、原発周辺の住民は大きな損害を被ります。そして、住民が生きがいにしてきた自然や住民のコミュニティーは破壊され、元には戻りません。「こういう現実が起きるのだ」と言うことを、一番大切なものとして意識しなければなりません。

 これを第一義的とした時、経済界や政府関係者が原発推進の根拠として揚げる「経済成長」、「国際競争力」、「雇用維持」、「電力不足」等の言葉の羅列は、何と空しい響きであり、浅薄な主張でしょう。

 さて、夏本番になって原発が稼動していなくても、「電気予報」や「計画停電」は聞こえてきません。実は電気は余っているのでしょう。電力会社や政府の言う「電力不足」は、「噓」だったのでしょう。経済界や政府関係者の主張する「経済成長」、「国際競争力」、「雇用維持」等も噓のような気がします。

  

 

 

 

 

 

 

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