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2014年6月30日 (月)

石原環境相 「最後は金目」発言は「本音でしょ」

 6/16、石原環境相が菅官房長官と会い官邸から出る時、中間貯蔵施設の問題は「最後は金目でしょ」と記者に対して発言しました。

 同氏は6/25、福島県を訪れ「不快な思いをさせ、心からおわびする」「お金で解決するという意味ではない」「これからも一層被災者の心に寄り添って丁寧に仕事を進めたい」と頭を下げたそうです。「被災者の心に寄り添う」とは具体的に何をしてくれるのでしょう。口先三寸のような気がします。計16回開いた中間貯蔵施設の住民説明会に、同環境相が一度も出席していないことがそれを如実に語っています。どこか他人事なのでしょう。

 「被災者の心に寄り添う」具体的な対処とは、何を指すのでしょう。被災者は古里を失い、家族離散し、放射能に怯えて生活しています。被災者は「古里を元通りにしてくれるなら、お金は一円も要らない」とも言っています。1ミリシーベルトにまで除染できないなら、事故以前の生活に戻れないなら、金で解決するしかないでしょう。

 ジュネーブ大学のヴァルター・ヴィルディ教授は「もし、スイスで同じような福島原発事故起きたならば」という想定で、損害賠償額を366兆円と見積もっています(ものぐさ 福島原発損害額 366兆円)。

 今までに試算されている損害賠償額はいったい如何ほどですか。10~20兆円程度でしょうか。366兆円との違いは、国民を守る国の意識の違いなのでしょう。10兆円程度の損害額で、原発を動かせるなら、国にとって原発は安いものです。366兆円支払うことになったら、果たして原発の再稼動など言い出すでしょうか。賠償が安上がりだから再稼働に躍起なのです。

 被災者の心に寄り添う気があるなら、精神的な賠償であろうと、山奥の森林を含めた徹底した除染であろうと、中間貯蔵施設の建設であろうと、不動産の買取であろうと、移住支援であろうと、健康管理であろうと、住民が納得する金を国は出すべきでしょう。

 十分な金額も提示せず、「被災者の心に寄り添う」と言っています。微々たる金額しか出さないのに、「金目でしょ」と言う。

 石原環境相は、気のゆるみか、ついつい本音を語ってしまいました。正直で大変立派な議員です。一方、官房長官は、東京都議員のセクハラ発言や麻生副総理の「いじめ」発言に対して、「内閣は常に謙虚であって、誤解される発言は控えるべきだ」と述べています。「誤解される発言」ではなく、「本音発言」は控えるべきだと言っているのでしょう。官房長官のほうが、たちが悪い。

 今の国は、本音で国民に語り掛けず、国民を煙に巻いて物事を進めている。「武器輸出三原則」を「防衛装備移転三原則」と言い換えて本質を誤魔化しています。本音で語ってもらえませんか。「誤解される発言」大賛成です。自民党の見極めましょう。

 最後に集団的自衛権について一言警告します。年配の友人から聞いた「とある兵士」の戦争体験は想像を絶するものでした。前方から銃弾に撃たれた兵士の背中は回転して進む弾丸により内臓がえぐられ、前方の銃創痕は1cm程度にも関わらず背中の銃創痕は10cmにも広がっていた。内臓を横から撃たれた兵士の腹部からは、小腸などの内臓が飛び出し、兵士は必死に腹部に戻そうとしていた。一般人に対する残忍な行為についても「最初は躊躇したが、2回目からは何の抵抗もなかった」と、友人の先輩に当たる教師は自慢げに語っていたと言う。集団的自衛権が法制化されれば、若者はそういう戦場に向かうことになります。戦争とはそういうものです。戦場で歌われたり、又は国民を鼓舞する目的で歌われた軍歌の販売広告がやたらと目に飛び込んできます。その歌詞は勇ましく、又は哀愁を帯びているのです。そこからは、戦争の残虐性は伝わってきません。ベールに包まれています。軍歌の販売広告は戦争推進論者の仕掛けたものでしょうか。太平洋戦争前夜のような雰囲気が、今の国の姿勢から感じられます。9条を守り、集団的自衛権に断固反対しましょう。

 

 

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